大内田 倭文(著)
A5判 128頁 並製
定価 1,980円 (内消費税 180円)
ISBN978-4-903238-56-2 C0073
在庫あり
奥付の初版発行年月 2011年07月 書店発売日 2011年07月11日 登録日 2011年06月20日
ピアノの詩人《ショパン》と男装の麗人《サンド》。二人の関係を、ワルシャワ、パリ、ノアンの美しい風景とともに紹介。中には斬新な解釈も。気楽にショパンとサンドの世界に親しむことができる1冊。オールカラー。
ピアノの詩人とも呼ばれる作曲家、フレデリック・ショパン。そのショパンを献身的にサポートしたのが、女流作家、ジョルジュ・サンドである。天才的ピアニストであり作曲家であるショパンと、当代一の人気作家で男装の麗人とも言われたサンドの関係は、あたかも小説のようで多くの人の興味をひいた。本書は、著者が訪れたショパンとサンドにまつわる各地をオールカラーの写真で紹介しながら、ショパンの生涯をわかりやすくたどる。また、サンドとの生活についても多面的に紹介。著者ならではのショパンとサンドの関係についての考察、またあまり知られていない、住んでいた地域との関係などについても語る。
はじめに
第1章 ワルシャワ
ショパンコンクール会場 ワルシャワ・フィルハーモニーホール
ワジェンキ公園内のショパン像
公園内を散策する
2005年のステージ
'85年のステージ
'80年のコンクール会場
10年ほど続いたリラさんとの文通
ジェラゾヴァ・ヴォラ
ジェラゾヴァ・ヴォラのレストラン
ショパンの生家
庭園内のショパン像
フレデリック・ショパン
ショパンが洗礼を受けたブロフフ村の聖ロフ教会
ヴィジトキ教会
ショパンの遺言
聖十字架教会
フレデリック・ショパン博物館
旧ラジヴィウ公爵宮殿
ポトツキ伯爵家
ワルシャワ大学の正門とカフェ「テリメナ」
1830年11月2日
アルトゥール・ルービンシュタインも通った店「ブリクレ」
ワルシャワ歴史地区
ショパン、ポーランドでの10代の足跡
サンニキでの夏(プルシヤック家に招かれる)
ソハチェフ城跡地
アントニンの[狩りの館]
アントニンでの作曲
ワルシャワの高層ビル
第2章 ニコラ・ショパンを訪ねて
フランスとポーランド
ニコラ・ショパンの謎
ポーランドに来てからのニコラの人生
フランス北東部・ロレーヌ地方
マランヴィル
ニコラ・ショパンの痕跡
教会の内部へ
ポーランド亡命貴族の城跡地
ノートルダム大聖堂
第3章 パリ ショパンの住んだ家を訪ねる
1831年9月ポワソニエール通り27番地
1832年シテ・ベルジェール4番地
1833年ショセ・ダンタン5番地
1839年10月ピガール街16番地(サンド)トロンシェ通り5番地(ショパン)
1841年9月ショパン、ピガール街へ
1842年9月スクワール・ドルレアン9番地
ショパン、ロンドンへ
スクワール・ドルレアン
1848年
1849年 9月下旬 ヴァンドーム広場12番地
玄関ホールの美しい絨毯の階段
ロマンチック美術館
ショパンのレッスン
サン・ルイ島のオテル・ランベール館
チャルトリスキ公爵のパリの館
ショパンの親友のチェリスト フランショームの楽器
当時を偲ばせる「パリ音楽院」
「ポーランド歴史文芸協会」
マドレーヌ寺院
ショパンの葬儀の再現
参加者に配られたパンフレットとメダル
マドレーヌ寺院内部
ショパンの左手の石膏像
ペール・ラシェーズ墓地
葬儀のパンフレット
第4章 ノアン
1839年 6月1日 ノアン(サンドの手紙)
祖母から相続したサンドの館
聖アンヌ教会
1839年 6月(ノアン)
耽美主義のショパン
当時使われた馬車
ノアンの演奏会場
ホール内客席
1838年夏 ドラクロワの絵
復元画
クロード・モアンさん
モアンご夫妻
サンドの家のキッチン
1839年 ノアンの夏 次々に友達が…
居間や客間とサンドの書斎
1841〜1846年
サンドの孫娘 オーロール
サンドの館の絵葉書
サンドの胸像と写真
サンド家のノアン劇場
村の人々の楽しみ「人形劇」
サンドの肖像画
サルゼーへ
サルゼーの古城
サルゼー城のステンドグラス
当時使われた食器
夕暮れ時の古城
アンジボーの粉屋
ショパンのパリの友人への手紙より
ホテル「プチ・ファデット」
サンドの別荘(ガルジレス)
ラ・シャトルの街の教会
ショパン・フェスティバル
スクエア・ジョルジュ・サンド
サンドのお墓
日本語で読めるサンドの作品
第5章 思い出
シュノンソー城
オペラ座(ガルニエ宮)
ポゴレリッチの演奏
スカルベック家ゆかりの家
音楽学校
キュリー博物館
世界中の人々の巡礼の地
地下のコンサート
クラクフ
ホームステイが結ぶ縁
サンドの食卓を再現
ショパン家のサイン
ショパン(ノアンでの)作品
未完の作品について
第6章 人物紹介・地図
2人と周囲の人々
ポーランドと周辺諸国
19世紀のパリ
ワルシャワ&ノアン周辺
あとがき
1980年に行われた「第10回ショパン国際ピアノコンクール」を聴いたのが、私にとって初めてのワルシャワ行きとなった。ショパンの命日に合わせて10月初めから3週間ほどの期間である。朝から夜10時頃まで、午後3時間ほどのフリータイムを除いて,ショパンの曲が次々と演奏される。演奏者が変わるごとに、益々期待もふくらんでゆく日々だった。
以来5年ごとに行われるこのコンクールが近づくにつれ、私のからだの血が騒ぐ。2005年まで行く事になった。暗く沈んだ町並みと物資のない時代。ワルシャワの80年代は、小さなりんご一つ買うにも、長蛇の列。その後尾に並ぶ。そんな中で、ワジェンキ公園の黄金の秋は、美しかった。何処を切り取っても絵になる。黄色の絨毯を踏みしめながら感激した事など、写真を整理しながら、とても懐かしい。
8回も転居したショパン。ショパンゆかりの地や、パリでのジョルジュ・サンドとの生活。その活動の場。住んだ家。特にフランス中部地方のサンドの館、ノアンの地は小さな古城なども点在し、シャッターをきるのが忙しかった。ショパンにとって、故郷にも似たその環境の中での毎夏の8年間は、作品を生み出す事のできる安らぎの場であったと思われる。
ピアノの詩人《ショパン》と男装の麗人《サンド》。二人の関係を、ワルシャワ、パリ、ノアンの美しい風景とともに紹介しています。気楽にショパンとサンドの世界に親しむことができる1冊。中には、これまでの通論とは異なる解釈も取り入れています。実際に二人が過ごした場所を歩いている気分で、ショパンとサンドの世界を気軽に楽しんでください。
在庫あり
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