米山 知子(著)
A5判 224頁 並製
定価 2,640円 (内消費税 240円)
ISBN978-4-7998-0101-7 C1039
在庫あり
奥付の初版発行年月 2011年12月 書店発売日 2011年11月28日 登録日 2011年10月23日
宗教儀式として秘密裏に行われていたものが何らかの理由で第三者に周知されてしまうことがある。トルコのある独特のパフォーマンスを例に、担い手がそれを社会にいかに位置づけようとしているのかを記録し、解明を試みた。
アレヴィーとは、トルコを中心とする地域に居住するイスラームの影響を強く受けた人々のことである。彼らの身体技法にセマーと呼ばれる、歩くことと旋回動作を基本とするものがある。聖者を追悼するお祭りの、夜の宗教儀礼の中で行われることもあれば、明るい部屋や照明のたかれた大きなイベントホールで行われることもあり、様々な場で「トルコ民俗舞踊」としても実践されている。しかし担い手たちは、セマーが行われる場所に関係なく「神への愛(信仰心の表れ)」であるといい、単なる楽しみやショーとして語ることは少ない。本書は、このような幾つもの要因が重なり本来の実践の場から抜け出すこととなったパフォーマンスに焦点を当て、担い手がその「パフォーマンス」をいかにその社会に位置づけようとしているのか、そのメカニズムと、そこに働きかけるパフォーマンス自体の持つ力を解明する。
序章
◆はじめに
第1節 本書の目的
第2節 先行研究と問題の所在
1.パフォーマンスの人類学
(1)舞踏、身体技法、パフォーマンス
(2)パフォーマンスのある場
(3)「なにも考えられない」という感覚
2.アレヴィー研究・セマー研究
第3節 調査の概要
1.調査の概要
2.調査地概況
第4節 本書の構成
◆第1章 アレヴィーおよびセマーの概要
第1節 アレヴィーの概要
1.分布と歴史
(1)分布
(2)歴史
2.信仰内容
3.儀礼ジェムと十二の奉仕
4.現代トルコ共和国におけるアレヴィー
第2節 セマーの概要
1.種類・型、セマーの振り
2.歌詞
3.担い手
◆第2章 都市イスタンブルにおけるアレヴィーとセマー
第1節 都市イスタンブルにおけるアレヴィー
1.トルコにおける都市化と都市イスタンブルにおけるアレヴィー
2.アレヴィー文化協会の設立
(1)K文化協会
(2)K文化協会以外のアレヴィー文化協会
3.都市における音楽状況
第2節 都市の協会付属セマー教室とその活動
1.K文化協会におけるセマー教室
(1)K文化協会のセマー
(2)セマー・オダス(セマー部屋)
(3)衣装
2.セマー「教室」の位置づけ
◆第3章 都市のアレヴィー文化協会におけるセマー実践
第1節「場」の展開
1.儀礼
(1)ハジュベクベタシュ村における儀礼(ジェム)
(2)都市のアレヴィー文化協会における儀礼(ジェム)
2.セマー教室
(1)セマー教室における練習
(2)セマーチュの参加動機と人間関係
3.公演
地方公演の例 (二〇〇四年七月十七日、ヤロワ市にて)
イスタンブルでの公演の例
第2節 セマー教室以外の場におけるセマーの展開
1.「商品」としてのセマー
2.結婚式など個人で行う場
第3節 小括
◆第4章 信仰と舞踊のはざまで —セマーと実践される場の相互作用—
第1節 場同士の関係性
1.儀礼(閉じたサイクル)から様々な場(開いたサイクル)へ
2.場の多様化と「信仰」の認識
3.場同士の関係性
第2節 パフォーマンスの「場」を成り立たせるための様々な仕掛け
1.セマーチュの身体と意識
2.アレヴィー規範および観念的世界の再構築のための仕掛け
(1)モノによる仕掛け
(2)仕掛けとしてのパフォーマティヴな行為
3.セマーをめぐる言説
(1)セマーに関する出版物と新聞
(2)セマーに関する語り
第3節 境界としてのセマー —現代トルコ都市におけるリミナリティーとコミュニタス—
1.儀礼ジェムにおける境界の出現
2.儀礼ジェム以外の場における境界の出現
第4節 小括
◆終章
第1節 まとめ
第2節 考察と今後の課題
1.セマーの現代都市における役割
2.パフォーマンスと実践の場
おわりに
参考・引用文献
【トルコ語文献】
【英語文献】
【日本語文献】
【新聞】
【辞典】
【参考映像資料】
地図・表・図・写真リスト
【地図】
【表】
【図】
【写真】
暗闇の中にみえるろうそくのともし火。ゆらめく光の中にぼんやりと浮かび上がる数人の男女と思しき人影。それぞれに赤や緑の美しい布を身につけ、旋回動作をしている。光と影の中で繰り広げられるその動きは、ゆっくりとしたテンポと重なり合い神秘的な雰囲気を作り出し、観る者を異なる世界へとひきこんでいく。一九七〇年代に撮影された映像に映し出されたセマーを観た筆者は、初めて目にするその光景に、それまで自分の中にあった意識が消滅してしまうような感覚を覚えた。
セマー(Semah)とは、歩くことと旋回動作を基本とするトルコの身体技法のひとつの名称である。一九九八年に筆者が初めて観たセマーは、トルコのとある村で行われる神秘主義者(聖者)を追悼するお祭りの、夜の宗教儀礼の中で行われていたセマーだった。その後、セマーがアレヴィーと呼ばれる人々が実践する「宗教舞踊」であることを知り、現在セマーが盛んに行われているというイスタンブルへと向かった。そこで筆者が目にしたのは、最初に観たセマーとは大きく異なっていた。明るい部屋や照明のたかれた大きなイベントホールではろうそくの形をした電灯が使われ、きれいな刺繍がほどこされた衣装を身につけた六人の男女が、早いテンポで旋回動作を行う。彼らの動作は大きく異ならないように見えたが、それを取り巻く場は決定的に異なり、セマーに対して一定のイメージを持っていた筆者を再び困惑させた。しかし、そのような場でセマーが実践されているとき、セマーを行う人々や観る人々の面持ちはみな神妙で、最初に観たセマーと共通する点があるように感じた。
本書は、このように本来の実践の場を抜け出たパフォーマンスに焦点を当てる。幾つもの要因が重なり本来の実践の場から抜け出すこととなったパフォーマンスは、様々な場で多くの人々に観られるようになった。とはいえ、担い手たちは、そのような外的内的変化を一様に肯定的に捉えているわけではない。パフォーマンスのあり方に関する多くの議論が生まれ、そこから対立が生まれることもある。その結果、観察者の立場からパフォーマンスとそれが実践される場をみると、担い手たちの「言うこと」と「すること」の間には矛盾があるようにみえるのである。本書は、そのような矛盾に対し、どのように担い手たちが折り合いをつけてパフォーマンスを行うのか、つまり担い手のもつ「文化」を当該社会に位置づけようとしているのか、そのメカニズムと、そこに働きかけるパフォーマンス自体の持つ力を解明することを目指している。
観光地へ行くと現地の舞踊などが披露されることがあります。また、テレビなどでも世界各地の民族舞踊などが放映されています。しかしそれらが実は、本来ごく一部の地域や民族の特別な儀式であった、ということは決して珍しくはありません。いまでも、その地域出身者以外の人には絶対に見せない祭礼などが日本国内にも残っていますが、そうした行事などがいつの間にか見世物と化して、誰でも接することのできるものとなってしまっていることは多いようです。
本書は、アレヴィーと呼ばれるトルコを中心とする地域に住むイスラーム少数派の人々に焦点をあてています。彼らは、信仰上の祭礼としてくるくると回ります。言葉を発しながら回る人もいれば、動作をしながら回る人もいます。宗教上の儀式の一環として回り続けるアレヴィーの人たち。それは、少数派としての存在を強調するために、その儀式は外の人も見れるようになってきています。YouTubeでも様々に公開されており世界中の誰でも見ることができます。そうして回ることで、アレヴィーは世界中にその存在を示しているのです。回るというパフォーマンスとそれが行われている場には、人々の様々な想いや生き様が有機的に映し出されているということが、本書を読むと分かります。ここでは、トルコのアレヴィーを例にしていますが、こうした潜在的な意味や力を秘めたパフォーマンスは世界中にあるはずです。日頃目にする、さまざまなパフォーマンスとそれが行われる場所の意味を考えさせられる本です。
在庫あり
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