叢書ビブリオムジカ
鈴木 淳子(著)
A5判 304頁 並製
定価 3,300円 (内消費税 300円)
ISBN978-4-903951-44-7 C1073
在庫あり
奥付の初版発行年月 2011年06月 書店発売日 2011年06月25日 登録日 2011年06月04日
毎日新聞
朝刊 評者:山崎太郎(東京工業大学教授、日本ワーグナー協会理事) |
人類愛を謳い上げる理想主義には、恐るべき現実性がひそんでいた──ヴァーグナーの作品、論文、妻コージマの日記、同時代の資料などを徹底的に洗い直し、その反ユダヤ思想の真実を明らかにする。叢書ビブリオムジカ、創刊!
人類愛を謳い上げる理想主義には、
恐るべき現実性がひそんでいた。
山崎太郎氏(東京工業大学教授、日本ワーグナー協会理事)、推薦!
「美しき理想が排他的イデオロギーと結びつく可能性は19世紀から百年以上を隔てた今日の社会にも潜在しているし、私たちひとりひとりもこの問題の当事者にほかならない」
ヴァーグナー芸術の特徴である理想主義には、恐るべき現実性がひそんでいた。
「反ユダヤ主義」──古来ヨーロッパ精神に伏流し、19世紀後半ドイツにおいて異常な高まりを見せ、20世紀にナチスによる大破局を招くことになる思想が、ひとりの作曲家の精神構造にどのような影響を与え、その芸術にどのような刻印を残したか。
これまで観念的に語られてきたヴァーグナー芸術と反ユダヤ主義との関係を、彼の音楽作品、論文、書簡、妻コージマの日記、同時代の資料などをもとに徹底的に洗い直し、実証した画期的研究。
これからのヴァーグナー研究はこの一書から始まる!
〈叢書ビブリオムジカ〉シリーズ、第1冊。
心の闇を見つめてこそ……〈出版に寄せて〉──山崎太郎
序 文1
第1章|ヴァーグナーと反ユダヤ主義
1 ヴァーグナーの革命志向とユダヤ人問題の結びつき
I. 19世紀初頭のドイツと青年期のヴァーグナー
II. パリ体験
III. 革命への目覚め──ドレースデン革命参加に至るまで
IV. 芸術と革命
V. 「未来の芸術作品」とヴァーグナーの反ユダヤ観
VI. 論文「音楽におけるユダヤ性」の発表
VII. 芸術家、革命家、そして反ユダヤ主義者としてのヴァーグナー
2 コージマの『日記』に見られるヴァーグナーの反ユダヤ観発展の諸相と同時代のドイツにおける反ユダヤ主義
3 ヴァーグナーとユダヤ人との交友
I. ベルトルト・アウエルバッハの場合
II. アンジェロ・ノイマンの場合
III. カール・タウジヒの場合
IV. ヨーゼフ・ルービンシュタインの場合
V. ヘルマン・レーヴィの場合
第2章|ヴァーグナーの舞台作品に見られる反ユダヤ的思想
1 「ユダヤ的」貨幣経済と『ニーベルングの指環』
I. 『ニーベルングの指環』成立史
II. 全4部作のあらすじ
III. 作品に現れたヴァーグナーの金権社会批判と反ユダヤ観
IV. 「愛の断念」――「利己主義」「非生産性」「不能」
V. 人種論的見地からの作品解釈
VI. 「啓示者」としてのヴァーグナー──同時代人の一証言より
2 『ニュルンベルクのマイスタージンガー』におけるユダヤ人カリカチュア
I. 『ニュルンベルクのマイスタージンガー』成立史
II. あらすじ
III. 「未来の芸術家」誕生のドラマ
IV. ユダヤ人カリカチュアとしてのベックメッサー像
V. 同時代人たちの反応──ベックメッサーの歌とユダヤの歌
VI. 「オペラ」という表記
3 『パルジファル』における腐敗
I. 『パルジファル』成立史とヴァーグナーの首尾一貫性
II. あらすじ
III. 宗教と芸術
IV. ショーペンハウアー的キリスト教理解
V. 人類の精神的・肉体的腐敗と再生の思想
VI. 登場人物たちに投影されたヴァーグナーの反ユダヤ観と人類再生の可能性としての「共同体」理念
第3章|「未来の芸術作品」と19世紀後半のドイツ精神
1 「未来の人類」のために──時代精神からの「ドラマ」の誕生
2 理想と現実
結 語
注/譜例/参考文献
あとがき
索 引
ヴァーグナーの作品索引
コージマ・ヴァーグナーの『日記』索引
人名索引
心の闇を見つめてこそ……〈出版に寄せて〉
山崎太郎(東京工業大学教授、ドイツ・オペラ研究)
ヴァーグナーが反ユダヤ主義者だった事実はつとに知られている。後年ヒトラーが彼の芸術を愛好し、みずからのプロパガンダに利用したこともあり、ヴァーグナーはナチスのイメージとも分かちがたく結びついてしまった。イスラエルでは近年まで公の場で演奏することさえタブー視されていたほどだ。こうした事実は往々にして野次馬的な詮索を引き起こし、ヴァーグナーをホロコーストの元凶として断罪するような臆説や風評さえ流れている。その意味でも、この問題にもう一度正面から取り組み、信頼に値する客観的な記述で掘り下げた本書が、日本の一般読者の目にふれるのは喜ばしい。
ヴァーグナーがどのような経緯で反ユダヤ主義者になったのか、ユダヤ人についてどのような発言をしたのか、ユダヤ系の知人たちとの交友関係の実態、作品に隠された反ユダヤ的メッセージ、総じて彼の反ユダヤ主義の何が問題となるのか──著者の鈴木淳子さんは近年この方面の研究がとみにさかんな欧米の成果をも視野に入れつつ、できるかぎり主観を排して、ヴァーグナーおよび関係者の著作や発言を俎上に載せ、吟味してゆく。例証のために挙げられた引用文に逐一原典のドイツ語が添えられているところにも、翻訳によるミスリードや恣意的な解釈を避け、資料そのものに多くを語らせようという著者の潔い学問的良心が感じられよう。
したがって、個々の分析や論説の当否についての最終的な判断も読者ひとりひとりに任されることになるが、私自身はとりわけ資本主義や科学文明への批判に基づく革命思想と反ユダヤ主義の結びつきを説くくだりに多くを教えられ、さらにはショーペンハウアーの「共苦」と「隣人愛」の哲学が作曲家の反ユダヤ的キリスト教観に拠り所を与えたとする記述に目を啓かれた。人類愛の理想が一民族への攻撃的差別観と容易に結びつき、分かちがたく絡み合うさまに、驚きとともに暗澹たる思いを抱かずにはいられないが、この点でヴァーグナーを弁護・容認することはもちろん、高みに立って一方的に彼を裁くこともすべきではないだろう。美しき理想が排他的イデオロギーと結びつく可能性は19世紀から百年以上を隔てた今日の社会にも潜在しているし、私たちひとりひとりもこの問題の当事者に他ならないからだ。
その意味でも、本書を多くの読者にお薦めする。ヴァーグナーの芸術を愛する者にとってここに書かれてある内容はけっして愉快なものではあるまいが、それでもあえて読んでいただきたい。なにも道義的見地からのみ、そう説くわけではない。逆説めいた言い方になるが、このような容易ならざる問題に向き合うことによって、ヴァーグナーの作品はますます強烈な魅力をもって胸に迫ると考えるからである。とりわけ彼の晩年の作品は作者自身の心に潜むそのような暗部を含めて考えてこそ、深く味わえるのではないか。人間の心の闇がひた寄せるような『神々の黄昏』第1幕後半の絶望感に満ちた響き。『パルジファル』の聖金曜日の野に流れる清澄な救いへの祈り。これらの音楽において、ヴァーグナーは混迷をきわめた世のありさまのみならず、妄執と憎悪に捉われるみずからの姿をも見据え、そこからの脱却を希っているのではないか。「創作とは己を裁くこと」というイプセンの言葉があるが、美しき理想が悪しき欲望へとねじ曲がり暴走する心の危うきダイナミズムをも、ヴァーグナーは意識せぬまま、しかも己ひとりを高みに立たせることもなく、入れ子状に作品のなかに描いてしまったのだ。アルベリヒ、ハーゲン、クリングゾル、クンドリーといったいわゆる悪役たちが予期せぬ魅力とリアリティを帯びる所以もそこにあろう。彼らはユダヤ人の戯画であるのみならず、ひょっとしたら作者その人の苦悩の写し絵ではないのか。この点で私の理解は本書が最終的に差し出す結論と少し違っているかも知れないが、そのようなことを突き詰めて考える機会をもらったことでも、著者に感謝したい。
在庫あり
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