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文化を楽しむ出版社

【第15回】斎場御嶽(セーファ ウタキ)

 2013-03-15   

 さて、琉球王国のグスク及び関連遺産群の最後がここです。
 ここは琉球王国の最高神官である聞得大君(キコエオオキミ)の就任式を行う場所でもあり、王家が聖地である久高島を遥拝する場所でもありました。ここは本島内では最高の聖地。男子禁制どころか昭和の初期までは、一般女性でも禁制でした。現在でも入口付近に香炉が残っているのは、一般の人がそこから先に立ち入らずに拝んだという名残です。
 ちなみに沖縄では祭祀の主となるのは女性です。男子禁制はあっても女子禁制の場所はありません。そんな沖縄最高の聖地である斎場御嶽でも、男手必要とする場面もあります。例えば台風後の片付けといった力仕事などです。その際には着物を自分から見て右を上にして着て(通常の着物の着方と逆)作業をしたそうです。つまりは異形の者。として入ったようです。
 そんな聖域ですから。自分も畏れ多くて中には入ったことがありませんでした。ところが、学生の時、王族の子孫が同じ学科にいまして、彼と一緒に……、というよりも彼を案内って事にして初めて入りました。もっとも、今考えると国王でも入れたかどうか……。
 この聖地は、琉球王国の最高神官が就任する場所。そして王国では、政治と祭祀が密接に関わりあっていた。遺産として外せない場所だったと思います。
 と、ここまではいろいろなサイトなどを調べるとある程度わかりますよね。で、ここでも私が謎に思う点があるんです。それは、首里から斎場御嶽までの聞得大君の乗り物です。
 まさか徒歩ではなかったはずです。自分が目算しても20km位ありますからね。では、駕篭? 駕篭も使ったんだと思いますが、どうやら馬を使ったみたいなんです。そして、その馬は勝連間切(現在のうるま市勝連)の南風原集落の家から出したようなんです。その家は、代々最高神官が行幸する際に馬を出す家で、明治に最後の国王が崩御してお墓に安置する際まで馬を出したそうです。
 これがまた不思議だと思うんです。私なら、連絡大変なんで首里に家を移します。そう出来なかった理由なんだろうか? と思います。歴史書『球陽』に、その家の仕事が書かれています。それによると(これが漢文なんです)、悩ましい事に(笑)、私にしてみると原文の解釈が二通りできるんです。
 一つ目「期日を把握して馬を首里に連れて行く」
 二つ目「期日を決めて馬を首里に連れて行く」
 この二つ大きな違い分かりますか? 二つ目だと、祭祀の決定権は最高神官にはありませんよね。その家に決定権があることになります。う〜ん、悩みます。ちなみに、前に古老から聞いた話しによると、その家が出す馬は家の馬ではなく、集落中の馬を品定めして厳選した数頭の馬を、かつての王朝で繁栄した勝連グスクの重臣の末裔が騎乗し競馬で決めたようです。ちなみに沖縄の競馬は、人間でいう競歩。歩き方の優雅さと速さを競ったようです。
 県内には聖域と呼ばれる場所が各地にあります。表現は難しいですが、その力の強さというか影響は多かれ少なかれ残っていまして、付近住民の信仰の対象となっています。この本島内での最高聖域である斎場御嶽。ここが単なるパワースポットということはないと私は思います。畏怖なんて言葉使った理由は、そこに単純に入るだけで力が貰える、そんな単純なものだと私は感じていません。この御嶽は、琉球王国を成立させたという意味での御嶽。これが世界遺産に入った理由です。そして、当時の人々が、そこを聖域と定めた理由があるはずです。それを感じながら訪れると、パワースポットという以上に得るものがあるかもしれません。

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