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文化を楽しむ出版社

【第14回】受水走水

 2012-10-18   

 受水走水。
 これは、「ウキンジュハインジュ」と発音します。これは地名で、本島南部の聖域の一つですが、かつてここから沖縄へ稲が伝わったとか。この名称も含めて、各地の地名も多くが当て字なんです。「はじめに言葉ありき」。昔からあった言葉に漢字を当てはめる。例えば、昔の沖縄の中心は首里です。そこで、南は、南の地域(南風原)はえばら。東側の台地は(東風平)こちんだといいました。
 では、北は北原……。ではないんです。沖縄では、北は「ニシ」と言っていました。ですから北は西原といまだに表現しています。
 ということで表題です。地名を漢字で判断してはいけない。となると、方言で解釈しないといけない。これはすでに、10年以上も前に提唱している方がおられますので、それを参考にします。その方の解釈によると。

  「受けられる溝。走られる溝」。

 少し分かりづらいですよね。これを今風に訳すと。

  「舟が浮かべられる澪。舟が航行出来る澪」

 沖縄の島々は、珊瑚に囲まれています。外海から入るのは難しい。そこで、珊瑚の切れ目となるのは、真水が流れる場所のみ。つまりは真水が海へ流れ出る場所。その場所が本島南部の東海岸では「受水走水」のみ。真水が流れこむので、珊瑚が生育しないのです。
 この話しは、議論が分かれそうなので、これ以上の話しはしません。ただ、縄文の昔から、弥生にかけて稲作が沖縄にも伝播したといわれますが、では「どこから?」って事となると、九州や本州から伝わったという判断は難しいですよね。
 とりあえず、沖縄だと本島南部東海岸だと神話の世界では記録に残しています。ちなみに、稲以外は、本島南部の離島である久高島に伝わったそうです。久高島には充分な水が無いので稲作は難しかったのでしょう。

 おそらく、この話を読んだ方の中には、「他にも入れる場所はあったのでは?」。そう考える方もいらっしゃると思います。
 自分は、たまたま南部の名も無い海岸に米を伝える人が漂着した……。と思いたいのですが、本島西側は、入り込める所が無い。すでに人も多く、従順させる事は難しい。ということで、手薄でいながら影響力を与えやすい東海岸選んだのでは? と思います。
 で、現在の沖縄本島。北部、中部、南部と地域を区分けしていますが、これが王国初期の戦国時代の勢力図のままです。その力関係の区分けが実はいまだに続いているのです。現代の沖縄の人からみれば、南部と北部が同じ経済力だったというのは凄いことです。

 ところで、今年。南部のあるグスクが国指定の史跡になりました。自分はそのグスクこそ、沖縄の歴史を明快にすると思っているのですが……。



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