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文化を楽しむ出版社

【第12回】首里城(2)

 2011-06-04   

 さて、いよいよいよいよ正殿前に入ります。右手には板葺きの南殿、左手には正殿の朱塗りと同じ北殿があります。薩摩が侵攻する前は、南殿はありませんでいた。これは、薩摩統治下後の建物です。その南殿に入りましよう。
色々見る物はありますし、ガイドも話すでしょう。私としては見て欲しいのは絵です。当時の女性は、帯を締める事はありませんでした。ですから、女装のように見えても、帯をしているのは楽童子(小性)です。日本史には疎いので小姓の年齢は判りませんが、沖縄の楽童子は、成人前。私が考えるに変声期から高校生位までだと思います。それまでに、古典舞踊、和歌、短歌、漢詩、中国の古典、書道、華道、茶の湯等をすべて修めて国王に仕えていたようです。この教養が将来の役職。つまりはキャリア組って事ですね。
 さて、そこから正殿に移動します。自分としては、そこはただ見るだけって感じです。国王の日々の暮らしは、最近復元された、南殿奥にありますからね。まだ実際に見た事ないですが、感じとしては薩摩の士族屋敷って感じかな?と思いました。ちなみに最後の国王が尚泰王。この方は東京に移住させられ、現在の靖国神社門前に明治天皇から屋敷を賜ったようです。この屋敷、今は学校になっているようです。
 この移動に関して、最近面白い話し聞きました。尚泰王は「もう沖縄には戻れないかも」と思ったのか、歩いて那覇港まで行くと言ったようです。それを聞いた首里・那覇の住民。「おいたわしや」と思い、国王を直に歩かせてはいけないってことで、家のゴザを門前にひき詰めたそうです。ムシロをひきつめた感じが思い浮かぶかもしれませんが、自分の感覚だと家で一番良い絨毯を敷いた感覚です。で、その上を歩いて那覇港まで行き、東京まで行ったようです。
 国王・王妃の行列を再現する首里城祭りってイベントがありますが、これにも不思議な話しがありまして……。
 戦前同じ事を企画して、実際に国王が乗った駕篭を持ち出して、国王役の方が乗ったようです。ところが、その方が突然急死してしまったんです。それ以来同じことはしなかったとか。もちろん今は最近作った複製の駕篭を使っています。


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