スタイルノートスタイルノート

文化を楽しむ出版社

【第10回】脱線ついでに…古い風習や習慣を少し

 2010-07-21   

 今回は、もう自分の世代でも分からない風習や習慣なんかについて書いていこうかと考えています。プロフにも書きましたが、自分は丙午の生まれで、同級生も少ないし、親は共稼ぎ。そんな訳で自分は祖母と一緒に行動していました。祖母の友人達との集まりにも混じって話しをするのですが、平均年齢70才。今から30年以上も前といえば、現在でいえば全て百才以上。もちろん誰も日本語話しません。全て方言。あ、今はウチナー口っていうようですね。ですから、自分は幼稚園に入園して、はじめて共通語を一日中聞ける環境となりました。

そういう事情で方言は聞けます、でも話せません。なんせ、うちの祖母は、あの頃で最長老。もし今元気ならば130才越えているはずです。沖縄戦当時で、60才越えていた方でした。ですから、祖母の方言は、目下に使う方言オンリー。自分が使えば絞め殺されます(笑)

祖母は死ぬまで琉装で、髪も日本で言えば結ってました。で、士族の生まれでしたので、銀のかんざしをさしてました。で、戦時中金属は供出でしたよね。祖母はいち早く察して、かんざし隠して箸をさした様です。非国民でしょ。

 さ、そんな方々の話しです。まず、知らない方であっても、道で会えば、「ハイサイ」女性なら「ハイタイ」って必ず挨拶します。やらなかった日には、「○○家の長男は挨拶も出来ないのか!」って話しが村中に広がります。沖縄って、フレンドリーじゃないんですよ(笑)。でも挨拶してはいけない時があります。それは、夜、家の塀側に向かって立っている方が居る場合です。大体は彼氏彼女が家を抜け出すのを待っている方です。「自分は居ないと見て下さい」ってメッセージです。その際は、たとえ知っている方でも無視して通り過ぎる。それが礼儀だったそうです。今はコンビニ前で大騒ぎしてますけどね(笑)。
 塀って書いたので、もう一つ、道に財布やハンカチ等が落ちていた。どうします?。交番に届けますよね。でも、自分の集落に交番が出来たのは20年程前です。では、どうするか、、、。見つけた場所の家の塀の上に置いたそうです。で、落とした方は塀の上を見ながら探したそうです。笑うかもしれませんが、未だに自分はそうしてます。

 次は呪文です。沖縄では地震が起こると「チョーチカチョチーカ」(経塚経塚)と唱えます。現在の浦添市経塚という地名なんですが、ここは魑魅魍魎が多かったので、本土から来沖した日秀上人(?)って方が経文を石に書いて塚を築いたそうです。それで経塚って地名になり、この地名を唱えると収まるということのようです。
 雷の場合には「クヮッキヌシチャヤービーン」(桑の木の下に居ります)と唱えたそうです。なんでも雷神と友達になった方がいて、楽しく付合っていたのですが、誤って、雲の隙間から転落して、桑の木に落ちたそうです。それなんで、雷神は桑の木には雷を落とさない。だ、そうです。でも、雷神といっしょにいたのなら、直ぐに助けてもらえなかったのかな?(笑)。

 後は、関係ない方も多いと思いますが。生後まもない乳児。抱く際には必ず人差し指は伸びていたそうです。これ刃物なんです。悪いものを威嚇して子を守る。で、寝かせる際には、外側に向かってハサミ等の刃物を敷き布団の下に入れる。実は自分も敷蒲団の下に、ある武具入れてます(笑)。効けば良いのですが(汗)。ちなみに最近知ったのですが、アメリカでも、人を人差し指で指さないようですね。大体は、親指かペンで指すみたいですね。人差し指で人を指す場合は、だいぶヤバい事だそうです。

 最後になりましたが、ちょっとここヤバイんじゃない?。そんな際には「サン」(草や紙を結んだもの)ってのも使います。沖縄の墓参り「シーミー」の際には重箱のそれぞれの箱に入っています。結びめって良いみたいですね。時代劇見ても、決闘や病や祭りの際には頭に結んでるじゃないですか。同じなのかな?

 本当に最後に、、、。今はもういない、祖母達から言われ続けた事「かつぼう〜。学をシランティンシムクトゥ、物ヲ〜知リヨ〜」(自分の幼名〜。学問は難しければ、学ばなくて良いよ、でも人の道理は知ってね)
 これ、言われると、自分昔の思い出が、そしてやさしく説き聞かせてくれた今は、すべていない方々の顔が浮かんで、なんとか頑張るぞ!って感じます。

関連する投稿