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文化を楽しむ出版社

【第9回】浦添城跡(うらそえじょうあと)

 2010-06-19   

 今回もまた世界遺産から脱線した話しをしたいと思います。
 浦添グスクは、現在の浦添市の丘陵部にあるグスクです。実は伝説に近いのですが、沖縄最初の王統は日本で言う古事記のような話しからはじまります。沖縄ではアマミキヨとシネリキヨという2人の神様が天帝の命で沖縄の島を作ったようです。でも、人間は居ませんでした。そこで、2人の神様は天帝に再度お願いし、天帝は自分の子2人を与えました。その2人が三男二女を生みました。
 そこで、長男が国の王(天孫氏)、次男が按司(あじ)、三男が百姓の初めとなりました。さらに長女は最高神官である聞得大君(きこえおおきみ)、次女は村々の神官になったそうです。そして、この天孫氏の時代がなんと1万7千年続いたそうです。

 しかし、12世紀末、その27代目の王を家臣の利勇(りゆう)が殺してしまいます。そこで当時人望の集めていた浦添按司尊敦(うらそえあじそんとん)を総大将として周辺の按司が集結し、利勇を滅ぼし国王となりました。これが初代琉球王統の初めです。

 実は、この尊敦の父親が、源為朝なんだと言われています。為朝は保元の乱で敗れ、伊豆大島に流されました。ところが10年後青ヶ島を征服した帰りに台風に遭遇し、舟の帆柱も折れ漂流します。船員が焦る中、為朝は「人の運は天が決める事」と慌てなかったようです。で、漂着した島が流れ求めた島なので、琉球。たどり着いた入り江は運を天に任せて付いたので運天という地名になったそうです。
 その後、為朝は南部大里の按司の娘と恋仲になり男の子が生まれました。で、為朝は本土に戻ろうとするのですが、舟をいくら出しても、上手く進めない。船頭は、「女が船に乗っているので竜宮神が怒っているんだ」と。そこで、泣く泣く為朝は妻と子供を残し帰っていったそうです。

 その後、母子は、迎えに来るのをずっと港で待っていたようです。そこで、待つ港→待ち港→牧港。となったようです。こんな話しは地名学というようですが、自分は興味があります。今回紹介した浦添は、「浦々まで襲う」という説が主です。でも、自分は、勝手に恩師としている仲松弥秀先生の「浦々までウスユン」(島々全体を雌鳥が卵を温める様に抱いている)。という説の方が好きです。地名学って、結構面白いですよ。その後王都となる首里を中心に、南側は南風原。少し東側は東風平。で、北は西原。(あ、沖縄では北の事をニシというんです)。

おそらく皆さんの周辺でも。そんな地名の解明ができるかもしれませんよ。


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