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文化を楽しむ出版社

【第8回】中城城跡(なかぐすくしろあと)

 2010-01-17   

 前回紹介した勝連城跡と相対し、琉球史並びに沖縄演劇でも度々登場するのが、この中城城跡です。このグスク全体が護佐丸によって築城された、と思っている方が実は県内でも多いのですが、縄張りからして、護佐丸が改築したのではないか?と考えられています。
 このグスクは六つの郭から形成されてますが、三の郭と北の郭を護佐丸が15世紀に増築した模様です。このグスクは、伝承では勝連の阿麻和利(アマワリ)を牽制するため、首里王府が座喜味グスクに居た護佐丸を居住させたと言われています。沖縄で本土の様な城を見たいなら、ここが最適だとは思います。江戸末期、日本に入る前に沖縄を訪れたペリーの調査隊も、このグスクを見て驚嘆し「今の怠惰な琉球人が作ったものではなく、昔に立派な古代文明があったのであろう」と失礼な記録が残っています(笑)。

 このグスクも明治以降は役場がおかれたりしましたが、戦後ある企業が借受まして、遊園地となりました。馬がいて、周辺を散歩させたり。遠足やデートといえば、ここだったようです。私も幼い頃、ここにあった剥製だけの動物園見た記憶があります。当時、沖縄に動物園なんて少なく、一カ所だけだったと思います。なにせ自分が初めて生きているゾウを沖縄で見た(実は乗ったんですが)のが昭和50年代中頃でした。生きているキリンなんて、もっと後です。

 そんな歴史もありまして、このグスク。ほとんど発掘調査行われていませんでした。今は、企業も撤退し、本格的な調査が始まっています。これは、勝連の発掘調査と比べるとかなりの差があります。勝連グスクは戦前、護岸工事の為、石積みのほとんどを壊しています。ですから壊されてしまった上に昔の技術による発掘をしたわけです。この中城に関しては、現代の若い考古の専門家が、最新の技術で発掘しています。おそらく、すごい成果が出ると思っています。ここはたしかに本土でいう名城だと思います。歴史上最後の城主は護佐丸で、前にも書いたように、勝連の阿麻和利によって滅びました。で、ここにも面白い話があります。

 歴史書等によれば、勝連からの軍は王府からの印(錦の御旗)があり、ほとんど抵抗する事なく敗れたそうです。で、護佐丸以下、息子達も自刃したようです。ところが、護佐丸の末子が乳飲み子だったので、乳母に抱かれ逃げ延びて、その後家を興します。当時護佐丸は60才を越えていたので、元気な方だったのでしょう。王府もこの子を後に認めましたが按司(領主)にはしませんでした。これも何か意味があるのだと思います。ちなみに、この阿麻和利を、護佐丸の二子が倒す組踊(日本の歌舞伎に近いのかな?)が残っています。そこの見せ所が第一幕で、阿麻和利
が見せる七目付(シチメツケ)って奴です。でも、自分は、そこに大きな伏線が入っていると思います。今度機会があればみると面白いと思いますよ。ちなみに、二幕目が敵討ちの前の母子の別れなんですが、少し眠くなるんですよ。初めて見た際には、前に座っていた、おばちゃんが爆睡しちゃって口開いて、事もあろうに後ろに反り返って、自分の目の前に、凄まじい顔して、見えたのです。悲しい場面で、あんな苦しい思いした事は今までありません(笑)。


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