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文化を楽しむ出版社

【第4回】尚家の三刀(2)

 2009-06-18   

 おそろしく、脱線してしまいました(大汗)……。どうせ脱線したので、脱線ついでの今回です(笑)。

 そうした姓がさまざまある中でも、尚家だけは別格です。この「尚」という姓は、直属の国王しか使えません。なにせ中国皇帝から直接もらった氏ですから。なので、王族といえども、この唐名(中国姓)を名乗る事は御法度でした。ですから、その他の王族の皆さんは似ている文字の「向」を使っていたようです。
 しかし明治政府の時代となってからは、つまりは最後の国王である尚泰王の子供からは「尚」姓を名乗っています。国王でなくなって、他の領主と同格となってしまっても、領地がもともとないわけですから名乗りたくても名乗る名前がない。そのまま「尚」という姓を使っていたわけです。そんなこともあってか、私は「琉球王国=尚家」というイメージを持っています。なんとなく家で見てしまうんですね。

 ちなみに、沖縄にはこうした王家に関する御法度がいろいろあります。
 例えば琉球王国は「中山王府(チュウザンオウフ)」とも言われています。これは統一したのが「中山(チュウザン)」だったためで、次の国王は、中城王子と言われてました。これは今で言う北中城と中城を領有していたって事になりますが、この「中」という文字が御法度文字です。この字を使った姓を名乗ることはできないのです。ですから、沖縄の方の名前をみると、「ナカ」という字を、「仲」や「名嘉」と変換して使います。「国仲〜」さんっていう女優の方も、そういう理由でにんべんがついた「仲」という文字を使っているわけです。

 さて、やっとですが、本題に戻りましょう。そんな王国の三刀でしたね。
 近世の沖縄では武士が刀を所持するという事はありませんでした。16世紀に、第二尚氏の名君と言われた尚真王が刀狩りを行い、武士階級も刀を持つ事を禁じました。それ以前に、鉄をいかに多く所持するのかが、古代の沖縄では重要でした。鉄は非常に貴重なものだったということです。沖縄からは鉄は産出しません。もちろん生活必需品なので、鉄を多く手に入れた者が覇者となる。なんて事もありました。なので、時代劇で見るチャンバラなんて、近世の沖縄では夢物語だったのかもしれません。それが空手に繋がったっていう方もいます。

 そういうわけで、実は沖縄では刀が珍しいのです。といってもまったく無いわけではありません。それが前回述べた「千代金丸(チョガネマル)」そして、宮古頭職であった仲宗根豊見親(ナカソネトゥイミャー)が献上した「治金丸(ジカネマル)」。そして「北谷菜切(チャタンナーチラー)」です。宮古を含めた離島の話は、いつか書こうと思いますが、現在の奄美も含めた琉球列島が完全に統一されたのは16世紀。尚真王の頃です。
 「千代金丸」は北山王の所有していた刀で、中世の刀って感じです。束が短く、馬の上で指揮を執る馬上刀の様な感じです。
 次の「治金丸」これは感じとしては江戸時代の脇差しです。

 そして、3つめの「北谷菜切」。これは妖刀です。名前でも分かるように。北谷菜切は。北谷(現北谷町)で、庶民の包丁として使われていたようです。ある時、たまたま、使っていた母親が子供の前で振ったら、子供の首が飛んだ。殺人事件発生です。裁判をして母親が「振っただけで首が飛んでしまった」と言うので、動物実験したら本当に首が飛んだ。ということで、この包丁は尚家に献上され尚家所有のものとなりました。この三刀が尚家所有の刀です。
 今現在、この三刀は、10年程前に、尚家の他の資料と共に、那覇市に寄贈されています。私としては「北谷菜切」を触ってみたいですが、、、(笑)。

 ちなみに、さらに脱線ですが(笑)。尚家以外にも、刀も含めた刀剣はあったようです。私の集落の旧家にも、中国の関羽が使ったような円月龍刀(漢字間違っているかも?)があったようです。でも、気になるのは、近くの離島。津堅島(ツケンジマ)にあった刀です。この刀には由来がありまして、昔、津堅島に、九つの首をもったバケモノやって来て島を荒らした。困った村人は考えて、このバケモノが来る日に合わせて九つの瓶に酒を入れ海岸に置き、それを飲んで酔ったバケモノを刀で退治した。その後、この刀は村の守りとした。なんか、あの話に似てると思いますよね。このバケモノを退治した行事は今でも、この島に残っています。ただ、この二つの刀剣。前者は米軍によって略奪され、後者は日本軍が鑑定したいって事で持ち出され、未だ戻っていません。

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