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文化を楽しむ出版社

【第3回】尚家の三刀(1)

 2009-06-01   

 尚家とは琉球の国王一族の事です。

 沖縄では、かつて人の名前が三つ存在しました(ややこしいことですが)。
 まずは童名(ワラビナー)これは元服前の名前です。さすがに私にはありませんが、父は亀寿(カミジャー)という名前があります。私が小さい頃、自分を紹介する際には、父の本名より、童名を言った方が古老には理解されました。例えば「播磨屋の吉右衛門の長男の誰それです」と。今だと、誰それ(父親名)の次男の誰それですって言います。古老だと父の本名(名の方)知らない方が多いので、そんな紹介の仕方をしたわけです。とはいえ、もうこういう紹介の仕方をするのは、私の村でも90代以上の方になってしまいましたが……。

 そして元服後、名前は二つ存在します。まずは氏名です。本土でいえば源氏や平氏って感じです。でもこの氏名に関しては、自分としては唐名(中国姓)って方が何となく分かりやすいです。普段は使う事がなく王国時代の公文書で使うのみの名前ですからね。ちなみに私の氏は翁氏で、私のご先祖を例にすれば、翁壽翔(翔は旧字体)となります。
 で、もう一つは大和名(本土名)ってよばれているものです。これが今使われている名前です。ご先祖で言えば、国頭親方盛順となります。国頭は姓。親方はミドルネーム?(笑)ではなくて位階名です。で盛順が名前です。

 で、ここが面白いのですが、本土名の姓は、領地を表しています。ですから、歴史的な事は知りませんが、私の初代ご先祖は、現在の国頭村の領主だったのでしょう。
 第二尚氏(15世紀以降)の最初の黄金時代築いたと言われる尚真王の頃に、各地の領主は例外を除いて、王都である首里に居住するように命じられます。徳川幕府は参勤交代で領主が毎年江戸と領地を行ったり来たりしましたが、沖縄の領主は首里に永住させられたのです。ですから、当然、その頃から領主は現地には居ないという状況が続き、領主の直接支配は行われませんでした。

 その為か、次第に領主は公務員化していきます。科挙に準じた登用制度もあったので、そうなったのかもしれません。そして、領地にあった本土で言うところの“城”は廃城となりました。その影響か、年が変われば領地も変わるみたいな事もあったようです。領地が変われば姓も変わるわけですから大変です。去年とは違う姓という人が大勢でてきてしまったのです。名前が変わるといっても、領主本人だけでなく、その家族も名前を変えていくわけで、どんどんと姓は変化していきました。しかしそれも、明治政府の管轄下となった段階でストップ!
 そして、今の姓名となっています。そのため一族といっても沢山の姓の人がいるということになります。しかしそれでは同じ一族かどうか分からなくなる。そんな事を避ける為なのか、大和名は、姓ではなく、名前の最初の一字には一族共通の漢字を使っています。私だと盛です。

 ちなみに、自分の名前は盛って字は入っていません。それは、そんな意味のある事だとは分からなくなってしまった為と、分かっていてもそんな古くさい事……、の二つだと思います。あ!、私の両親は前者です(汗)。でも、今でも沖縄の方は、使っている方多いです。今度沖縄へ来る際には、電話帳を見ると面白いですよ。
 ちなみに、「朝」が付く方はは王族の系譜です。

 「尚家の三刀」とタイトルをうっておきながら、おそろしく脱線してしまいました。次回はなんとかもとに戻したいと思います。

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