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文化を楽しむ出版社

【第5回】座喜味城跡(ざきみじょうあと)

 2009-07-05   

 世界遺産に戻りましょう。今回は、座喜味城跡です。

 このグスクは、沖縄の歴史上最高の築城の名人と言われた護佐丸(ごさまる)が築いたと言われています。護佐丸って名前は、なんとなく日本風の名前で、珍しいと思います。出生等は伝説の域を出ていませんので語りませんが、当初は現在の読谷村一帯を本拠地とした領主だった模様です(多幸山ハブ公園一帯と言えば、沖縄通の方は分かるかな?)。
 そして、沖縄初の統一王朝である、第一尚氏の有力な武将として活躍したようです。ですから、王家にとっては重臣です。

 その当時、北山(今帰仁城跡)の残存勢力を恐れて、15世紀前半にこのグスクは築かれたようです。この北山は、一筋縄ではいかないと思われていたようです。今では使われなくなりましたが、現北部の名護市には、名護マサー(名護の方は意地が強い)なんて言葉があります。その他の町村にも、それに近い言葉残っています。前にも使った話で言えば中国三国志の「五戸になっても」って感じです(笑)。さらに意地の強い地域が、私の住む地域なんですが、そういう意地の強さもあって城が置かれたんですね。

 さて座喜味城。このグスクは二つの郭からなり、感じとしては砦といった感じです。しかし、これは現在残っていた石垣の礎石等から復元したものなので、本来どうだったかは不明です。土塁や木杭等あったかもしれません。このグスクも数奇な運命に晒されまして、第二次大戦後は、米軍基地となりました。その為、石垣のほとんどは破壊されてしまっています。しかし、基地開放後、二の郭の入り口のアーチ門がかろうじて残っていたのです。

 実はこれが現存する沖縄最古のアーチ門となります。
 沖縄でアーチ門は、聖域に入る門として使われる例が多く、しかも沖縄の石造建築の特徴でもあります。ですから非常に貴重な門であると言えます。さらに琉球王国成立に関しても無視出来ないグスクということもあり、座喜味城跡は沖縄の歴史上貴重な遺産なのです。ですから、世界遺産に指定される時も座喜味城跡は外すことのできない遺産と考えられたのかもしれません。

 ちなみに、この座喜味城跡は、沖縄が日本に復帰後最初に指定された国指定史跡です。

 で、この護佐丸は本島西海岸から、本島中央部に城を構え直します。なぜなのか!? それはまた次回に。

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