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文化を楽しむ出版社

【第2回】オーケストラ・アンサンブル金沢 第258回定期公演

 2009-05-17   

音楽評:オーケストラ・アンサンブル金沢 第258回定期公演 2009年3月21日

ヘンリー・パーセル 歌劇《ディドとエアネス》(ディドーとイニアス)組曲
ウォルフガング・A・モーツァルト ピアノと管弦楽のためのロンド ニ長調 K.382
ベンジャミン・ブリテン ピアノ、弦楽四重奏と弦楽合奏のための《若きアポロ》作品16
フレデリック・ディーリアス 小管弦楽のための2つの小品
フランツ・J・ハイドン 交響曲第104番 ニ長調 Hob.I:404《ロンドン》

 尾高忠明指揮オーケストラ・アンサンブル金沢、小菅優(ピアノ)、マイケル・ダウス(第1ヴァイオリン)、江原千絵(第2ヴァイオリン)、安保恵麻(ヴィオラ)、ルドヴィート・カンタ(チェロ)

 西洋のクラシック音楽の中でイギリスは「辺境」の地域と考えられがちだが、この国が魅力的な作曲家を輩出していることも否定できない。今回のオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の定期公演では、他のヨーロッパ諸国にはない味わいを持ったイギリスの作曲家、あるいはこの国にちなんだ作品を取り上げ、聴衆を魅了した。

 まず、弦楽合奏とチェンバロによるパーセルの《ディドとエアネス》の組曲は、やわらかなアクセントと、どっしりとした構えで聴かせる。小さくまとめている印象もある一方で、爽やかですっきりとした響きは、実に心地よい。

 モーツァルトのピアノと管弦楽のためのロンド ニ長調 K. 382は、初期のピアノ協奏曲K.175、第3楽章の改訂版である。ここで小菅はソロ・パート内における声部間のバランスに留意しつつ、さらに独奏とオーケストラとのバランスにも気を配る。どの旋律、あるいは、どのフレーズにおいて独奏とオーケストラが寄り添うように進むのか、対峙するのか、そんなやりとりも、自然な対話になっていた。

 モーツァルトの作品は技巧的な難易度はともかく音楽的な難しさが格別に高いといわれる。この共演では、前述した通り、小菅自身のコントロールはもちろんのこと、尾高とOEKにしても、ピアノ独奏との関係において自分たちがどのような役割を演じているのかが、よく練られているという印象を持った。演奏者たちの自主性も、これに貢献しているのだろう。

 この曲はロンドとはいえ、実質的には変奏曲であり、聴かせるのが非常に難しい。しかし、共演者たちの細やかな配慮が、ういういしいモーツァルト作品の面白さを舞台上に溢れさせていた。

 一方、ブリテンの《若きアポロ》では、モーツァルトの均整美とは違った小菅の魅力が噴き出した。ピアノ独奏は鮮烈に力強く、瑞々しく、上行音型が支配的なフレーズが全体を縁取っていく。オーケストラの方にもスピード感があり、立ち上がりよく明るい音色が訴えた。

 プログラム後半は、ディーリアス作曲の小管弦楽のための2つの小品から始まった。滔々とした旋律線よりも細分化されたフレーズが重なり合い、時には融合し、時には自在に相対し、変幻しながら風景を彩っていく作品である。指揮棒を使わぬ尾高の指揮は微妙なニュアンスを逃さぬよう、指一本の動かし方から、微妙なニュアンスを伝えていた。

 公演最後は古典派交響曲の最高傑作の一つ、ハイドンのロンドン交響曲である。尾高指揮OEKには、こじんまりとまとまる傾向があるものの、しゃきっとしたリズムと精緻なアンサンブルにより、この作曲家のはじけるような楽しさと、時折垣間見せるペーソスを味わい深く表出していた。尾高は、アンコールとして演奏されたグリーグの《過ぎにし春》でも充実した鳴りをオーケストラから引き出し、言葉では言い尽くせない感動の余韻を、聴き手の心に、そっと残した。

 ところで、英米圏のクラシック作品は、なかなか演奏会で取り上げられる機会がない。そもそも恒常的な演奏会を行なうオーケストラが地方にない場合、外から来る演奏家が披露するのは、たいがい「名曲」の類である。OEKは室内オーケストラであるがゆえに、20世紀以降のレパートリーを取り上げる機会が相対的に多くなることは確かだが、それでも通俗名曲の枠を超えたレパートリーが組めることは、定期公演を持ったオーケストラの強みだろう。OEKと、それを指揮する音楽家たちには、今後とも魅力的なプログラミングを期待したいところだ。

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